働き方改革や旧型経営の破綻、パラレルキャリアの促進などにより、仕事をする上で組織に対する“個”の存在感が増してきています。その傾向がリモートワークが進んだコロナ禍で、“ある現象”を生み、経営者を悩ませているようです。
今回、編集部は当社CEOの桜庭理奈にインタビューを行いました。桜庭はこれまで数社の企業で人事戦略に携わり、現在、多数の大企業・中小企業へ人事の面からサポートを行っています。前編では、桜庭の生い立ちやキャリアの中で経験したアイデンティティ・クライシスを中心に綴っていきます。
“声なき声”をあげ始めた30〜40代中間管理職
編集部(以下、編):桜庭さんは経営者の方と接する機会が多いですが、その中で最近気になるお話があるそうですね。
35CoCreation合同会社CEO 桜庭理奈(以下、桜庭):そうなんです。立て続けに何人かの経営者から「新しい制度やシステムを導入しようとしても30代〜40代中間管理職が反対して頓挫してしまう」というお話がありました。反対するのは決まって30代(だいたい後半)〜40代のメンバーやチームを持っている中間管理職の方々なんです。
これは、自分たちが違和感を抱く旧型のことをやりたくないということだったり、自分たちが引き継いできた負のレガシーを次代には継ぎたくないという“声なき声”の表れなんだと思います。
コロナ禍で進む、アイデンティティ・クライシス
編:経営者側も“よかれ”と考えて導入する制度やシステムですよね?
桜庭:だから問題なんですよね。先日、大手の外資系製薬系企業がこぞって全国の営業所を閉鎖するとの記事が出ました。コロナ禍でのリモートワークの加速化が大きな要因です。フィジカルな接触を持たない環境は、個々人の自律的働き方や生き方を応援する一面もある一方で、主体的に組織と関わるマインド、モチベーション、スキルなども求められます。
経営側は「自由になっていいよ」というつもりでも、個人側はいきなりそんな環境に放り込まれて、戸惑ったり、不安に感じたり、中には落胆する人もいるでしょう。いわゆるZ世代はいち早く順応できるかもしれませんが、それまで社会規範に従って生きてきた30代〜40代は困惑と同時に、「もっと自分らしく思うがままに生きてもよいのでは?」、「でもそれが本当にいいのだろうか?」、「そもそも自分らしさってなんだろう?」と悩み・揺れているのではないでしょうか。
彼らはいま、頭と心がちぐはぐな状態、つまりアイデンティティ・クライシスに陥っているのだと思います。だからこそ、経営側からこの揺らぎを理解していない制度を提案されて、拒否反応が出てしまっているのが、冒頭での話なのかなと。
幾度のアイデンティティ・クライシスを経て磨かれ続けたキャリアと個性
編:確かに、若い世代の方が自分らしく好きなように生きていて、それをみて30代〜40代は羨望とも焦りとも思える感情を抱いているように感じます。自身でアイデンティティ・クライシスだと気付くのは難しい気もしますが、桜庭さんにもご経験があるのでしょうか?
桜庭:人生の節目節目に何度か経験しています。最初のアイデンティティ・クライシスは小学生の時で中学3年生まで続きました。両親は、「変わり者でいなさい。そうでないと意味がない」と言い、私にかなり奇抜な格好をさせていました。スカートを中学の制服で初めて履いたほどです。一方で学校をはじめとした周囲には「変わった子・はみだしもの」と評価され、いじめられることもあり、家と学校、両者の狭間で苦しい思いをしていました。クライシスというよりはアイデンティティを確立できない、といった感じでしょうか。
編:自我に目覚めていない、もしくはまだ定まっていない子どもならではの歯痒い体験ですね。大人になってからアイデンティティ・クライシスに陥った経験はありましたか?
桜庭:何度かありますね。初めて就職した会社では、ありものを着せられる居心地の悪さを感じながらの仕事でした。留学帰りの12月という中途半端な時期に就職活動をしたので、その時に残っていた求人から応募し仕事に就いたのですが、なかなかうまくいかなくて…。「自分のやりたいことはなんだろう?」と模索しつつ、一方で経験のなさからの引け目もあり、結局9ヶ月ほどで辞めてしまったんです。
次に入った外資は、面接で社名を間違えていても「面白いから入れちゃえば?」というくらい“個”を認めてくれる会社でした。職場で自己を見出しつつ、個としてできることと、組織で成し遂げることがあるのが良いんだと感じられて、そのバランスも身につけることができたと思います。しかし、リーマンショックという避けられない時代の波の中で、“組織の我”が強くなっていくのを目の当たりにして、「有事の時こそ個を大切にすべきなのに」と、再びアイデンティティ・クライシスに陥ってしまったんです。
半ば会社に幻滅しながら、次のキャリアを考えた時、この会社で担っていた人財トレーニングを通じて感じた“入り口から出口までを見続けることの大切さ”を思い、人事に振り切ることにしました。というのも、研修で接している時は素晴らしい人でも、部下や周囲からの評価はとんでもない人が結構いたんです。何が起こっているんだろう?と思いますよね。良くも悪くも人事は人の人生を左右する部分がありますから、人に寄り添う必要があることも人事に興味を持った理由のひとつです。
その後、希望通り人事のポジションに就くことができたのですが、またまたアイデンティティ・クライシスがやってくるんですよ。採用と育成人事の後に、組織を作っていく人事部長になったんですが、組織を作りながら個に向かい合うと、経営側の思惑を押し付けたくなる衝動に駆られてしまって。綺麗事ばかりではないなと、個として組織に関わっていた時と視点が変わりました。とはいえ、経営メンバーでありつつ、メンバーの近くにいたい、嫌われたくないと、組織と個の間を振り子のように揺れ動いていました。しかし、揺れ動いたからこそ、どちらに振り切ってもダメだとわかったし、個と組織を繋げる方法や、そのためのコミュニケーションの取り方がわかったと思います。
自分らしさを取り戻すとき
編:キャリアアップしさまざまな体験をされましたね。自分に正直に行動されていたように感じます。
桜庭:そうですね。ただ、この段階でもまだ「自分らしくいられているな」という感覚にはなれずにいましたね。ちなみに、その会社も外資で本社が国外にあったんですが、日本ならではの真理を見ていないものばかりで、ストレスが蓄積していました。どういった感覚や戦略でそのリージョンでビジネスを展開しているのか不明だったことや、多様性を謳うわりには、トップにアジア人を置いていないのも腑に落ちませんでした。そこで、次のステップとしてドイツ系の保険会社で人事にチャレンジしてみることにしました。
そこでは初の日本人社長と本社の橋渡しを2年ほど勤め、のちに戦略人事、後継者育成をミッションとしてシンガポールへ赴任しました。家族に転職してまで付いてきてもらったシンガポールでしたが、そこでは徐々に働く環境への疑問が湧いてきました。例えば、「なぜ9時から働いているの?」とか、「オフィスで働くのは誰のため?」とか。そこでは頑なに“リモートワークではなくWork From Home(在宅勤務)”と念を押されていたのですが、そこにも筋の通らないことへの気持ち悪さを感じました。国籍が混ざり合った職場環境でも、こうなのか、と違和感を感じました。
そこからは価値観の転換が一気に進んだ気がします。「本当に大切にすべき家族を愛しつつも、どこか関係が希薄になってしまっている」、「働くことで自分を確立しようとひた走ってきたけれど、それだけで人は幸せになれるのか」と、自分の中に価値観の回帰現象が起きて、自分を育ててもらった日本へ帰ることを決意したんです。どこかに置いてきていた“愛情深い”という自分らしさを取り戻せた経験でした。
日本に帰ってからは、偶然にも2社目に働いていた会社に再び入ることになりました。組織の我が強くなり、虚しさすら覚えて辞めたかつての会社でしたが、いざ戻ってみると、組織と個の関わりがまったく逆転していました。個を大切にしながら組織としてのミッションをいかに成し遂げるかに真剣に向き合っていたんです。もう、感動しましたね。業績はどん底でしたが、それが「生き残る」という共通の目的で団結する原動力になっていました。
編集後記(編集部)
以前登壇されたイベントを拝聴し、「丁寧に言葉を紡ぐ方」との印象が桜庭さんにはありました。今回も、ご自身のキャリアについて赤裸々ながら、言葉のもつ力を感じられるようお話されていたと感じます。アイデンティティ・クライシスを幾度となく経験されていたことは意外でしたが、一見、抗い難い流れに乗っているようで、実際はご自身の心に正直に、自分なりの軸を確立していかれたのだなと思いました。機会があれば、心の葛藤の仔細を伺ってみたいです!
アイデンティティクライシス後編では、コロナ禍で進むアイデンティティ・クライシスとその原因&脱出方法についてお伝えします。